「はぁい、私が夢の守護聖オリヴィエだよん。よろしくね、女王候補さん」
目の前の派手な人物を見た途端、アンジェリークの心臓は早鐘のように打ち始めた。
その人はすらりと背が高く、黒い羽根のショールを掛けていた。
金色の髪をしているが、トップとサイドは赤く染められているようだ。
腕輪や指輪、たくさんのアクセサリが光を反射する。
柔らかく落ちる白い布から、その人が動くと長い足が覗く。
多分目がまん丸になっているであろうアンジェリークの顔を、
その人は見下ろして面白そうな輝きを瞳の中に見せた。
男性? 女性? 声は男性のようなのだが、こんなに綺麗な男の人っているのだろうか。
なんて華やかなかたなんだろう。それに……。
アンジェリークは自分に湧き上がってくる初めての欲望に戸惑った。
このかたにキスされたい。いえ、キスだけじゃない、もっと……。
「んふ。あんまり私が綺麗だからって、みとれちゃった?」
「あ、はい!」
あまりに素直に出た返事に、オリヴィエはぷっと吹き出した。
「あらま、正直。いい子だね」
オリヴィエはアンジェリークの頭を、掛けていたショールでくすぐるように撫でた。
直に柔らかそうなアンジェリークの頬を撫でたいなと思いながら。
それじゃセクハラだよね、やーだ、と自分に突っ込みつつ。
「いつでも執務室に訪ねて来てよ。じゃ・ねん」
彼女へウィンクを送った後去っていくオリヴィエの後ろ姿から、
アンジェリークは目を離すことが出来なかった。
どうしてだろう、男のかたか女のかたかも分からないのに、
どうしてこんな……エッチな気持ちになっちゃってるんだろう。
カーッと頭に血が上って来て真っ赤になったアンジェリークは、
頬に両手を当ててぶんぶんと頭を振った。
「ねえ、アンジェリークってオリヴィエ様が嫌いなの?」
無邪気にマルセルが首を傾げてアンジェリークに尋ねた。
「え……そういうわけじゃ」
「だーってさ、さっきみたいに、お茶の席にオリヴィエ様がいると、
すぐに無口になって帰っちゃうじゃない?」
実際、先程までルヴァの執務室でみんなとお茶を楽しんでいたのだが、
オリヴィエが顔を出した途端、用事を思い出したと言ってアンジェリークは席を立ったのだ。
ロザリアからは再三言われていたが、
マルセルに指摘されるという事は、他の守護聖たちもみな気がついているという事だ。
アンジェリークは言葉に詰まって下を向いた。
「オリヴィエ様ってお化粧なんてしてるしちょっと風変わりなとこがあるけど、
話してみるといい人だよ? 意外と真面目なんだよ?」
一生懸命マルセルがオリヴィエを擁護するのを見て、アンジェリークは微笑んで頷いた。
「はい」
「だから今度話してみてよ。ね?」
「はい。マルセルさま、ご心配お掛けしてすみません」
そう答えるとマルセルはにっこり笑って頷いた。
でも、違うのだ。嫌いなんてとんでもない。
オリヴィエ様のことを考えると、他の何も手につかなくなってしまうのだ。
女王試験のことも、大陸のことも、他の守護聖様たちのことも。
しかも、オリヴィエ様本人を目の前にすると、
足に力が入らなくなって立っていられなくなるほど。
そんな時の自分が何を考えているか知られてしまったら、
もうきっとものすごく軽蔑されてしまう。
ましてや、二人きりで会ってしまったら、
すがりついて懇願してしまいそうなのだ。抱いてください、って。
わたしの事なんとも思ってなくても構わない、って。
だからこっそりと遠くから見つめているだけ。
そしてとても不安なのだ。
こんなにオリヴィエ様のことばかり考えているけど、それってオリヴィエ様を好きってこと?
数えるほどしかお話したことがないのに、わたし、変だよね。
オリヴィエ様の外見だけ、好きなの?分からなくて怖くなる。
わたしがすごくすごくいやらしい子だから、相手は誰でもよくて、
エッチなことばかり考えちゃうの?
ぎゅっと目を閉じて、ぶるん、とアンジェリークは首を振った。
違う。オリヴィエ様にだけ、こんなになってしまう。
近頃は毎晩、夢に見る。
自分と彼とが激しく睦みあう夢を。
あまりに生々しくて、目覚めてもしばらくは足が立たない。
夢でよかったのか、夢でないほうがよかったのか。涙が止め処もなく流れるのだ。
お茶を口に運びながら、オリヴィエにはルヴァとリュミエールの会話が、遠くなっていった。
ああいった瞳で見つめられたことは過去にも覚えがある。
意味するところは分かっている。「あなたが欲しい」だ。
触れればきっと、バターのように溶けてしまう。私の前で。
あのコがそんな自分に戸惑って、私を避けているのはすぐ分かった。
誰にでも向けられる笑顔が私にだけ向けられない、その寂しさの代わりに、
秘められた情欲を独り占めしている。
でも問題はそこじゃない。
問題は。
私もあのコが欲しいって事。
小さな顎を捉えて、キスの雨を降らせたい。
体中に触れて、肌の感触を味わいたい。
ベッドに閉じ込めて、一日中あのコをなかせたい。
初めて会った時からそうだったのだと思う。
お互いほとんど話した事もないのに、欲望だけが一人歩きしているって感じ?
そんな状態で進んでしまったら、どうなるんだろうね。女王候補と守護聖なのに。
なのに。
「──…どうでしょうかねえ。オリヴィエ?」
オリヴィエはルヴァの言葉を聞いていなかった。
「は?」
やわらかく、リュミエールが引き継いだ。
「ですから、ぜひアンジェリークとお話してみてください。
あなたの得意な、メイク関係の話題からいってはどうでしょうか?」
「アンタたちさぁ……」
オリヴィエはため息をついた。
ルヴァはまだしも、リュミエールも全く気がついてない訳?
あのコの態度、不自然すぎるじゃん。
まあ実際、あの目で見つめられていないんだから、
分からないのも仕方ないかもしれないけどさ。
「分かったよ。近いうちにね」
ルヴァもリュミエールも、その答えを聞いてほっと微笑んだ。
オリヴィエはもうひとつため息をついた。
普通に考えたら、私が自重しなくちゃいけない。
年長者で守護聖たる自分が、自分を律せないでどうするよ。
今日だって、アンジェリークとの仲が不自然に見えないよう、お茶に加わってみた。
だが、アンジェリークが露骨に私を避けるのでさらに逆効果になってしまった。
しかも周りがそれを気にして、二人で話すようにと進言まで。
二人きりになったら、あっという間に一線を越えてしまう。
もうそれも時間の問題だ。アンジェリークも私も、女王試験どころじゃなくなってしまう。
いや、今もか。
近頃、夢でまで見る。
アンジェリークを抱く夢だ。一晩中、腕の中から離さない。
ヤバイよ、これ。多分、あのコも見てる。同じ夢。
「よお」
聖殿を出ていつの間にかオスカーの私邸そばに来ていたようで、
ぼんやりと考えこみながら歩くオリヴィエにオスカーが声をかけた。
オスカーはラフな格好で愛馬にブラッシングをしている。
「さっきゼフェルたちがお前の事を話題にしてたぜ」
オスカーは思い出してくっと笑うと、ゼフェルの声音を真似して言った。
「”それまで楽しそうに笑っていたアンジェがよ、
あの化粧お化けが来たとたんに機嫌悪くなって、そのまま帰っちまったんだよな。
ルヴァとリュミエールの慌てようったらなかったぜ”ってな」
「……そう」
心ここにあらずといった風情のオリヴィエに、オスカーは気勢をそがれた。
「さっさとお嬢ちゃんをベッドへ連れて行ってやらないからだ」
「ちょっ! アンタ…!」
「急に動くなよ、馬が驚く」
目をむいたオリヴィエを制してオスカーは続けた。
「あんなふうに見つめられて、お前よく我慢できるな。
お嬢ちゃんがよっぽど趣味じゃないってのなら……ああ、逆か」
図星をさされてオリヴィエは黙った。
「本気だから何も出来ないって訳か。
女王候補だとか守護聖だとか、そんなものにも縛られてるんだろ」
「そうさ。そりゃ考えるよ。あのコをつらい立場になんてしたくない」
ち。軽く舌打ちしてオスカーが続けた。
「つらい? 今の状況をお嬢ちゃんがつらくないとでも言うのか?
お前が動かないなら、俺がお嬢ちゃんをなぐさめてあげてもいいのか?」
「なっ! オスカー、あの子に手を出したら私が許さないよ!」
オリヴィエに火花が散るほどの気迫で見返され、オスカーはふっと息を吐いた。
「正直、俺は羨ましいんだぜ。お互い強く惹かれあう相手に出会えることにな。
もしそんな相手に出会えたら、俺なら躊躇しないぜ」
「オスカー……」
オスカーと別れ、オリヴィエが足早に向かった先は、女王候補の寮だった。
オスカーと話していてやっと気付いた事があった。
あのコを誰にも渡したくない。
彼女が他の守護聖になびくなんてありえないと、何故か自信を持っていた。
バカだね、私は。こんな中途半端な状態で置いておかれたら、
アンジェリークだって他の誰かを頼るかもしれない。
オリヴィエは、その事を考えただけで、
嫉妬の塊が喉につかえて息が出来ないほどだった。
2008.1.17 |
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